6月2日『勤務時間が変わりました。17時頃に帰るとお伝えしましたが、このぶんだと19時頃の帰宅になりそうです。』12:46(既読)『わかった。駅まで迎えに行く。待っていなさい。』12:47『ありがとうございます。』12:47(既読) #3S
04 Jun, 2025, 8:58 am
「…紫陽花、喜んでもらえるかな…」
20 Jul, 2025, 9:42 pm
意識が現実へと引き戻される。ホームから突き飛ばされ、線路に落ちるまでの一瞬がやけに長く感じられた。2年前に卒業した高校での出来事。1年生の春、図書室の奥で榊先生と出会ったときのこと。2年生の梅雨明け、放課後の教室で榊先生の手伝いをしたこと。3年生の夏、金曜日の6限目に進路希望のプリントを提出したこと…「成る程、これが走馬灯か」と、昴の頭の中の冷静な部分が理解する。半年前。「昴」という名前を貰ったちょうどそのタイミングで両親の離婚調停が始まった。仙花が5歳のときに亡くなった実母に代わり母親となった女性は苛烈で陰湿で、この時期に仙花へ何かしてくるのではと心配した父親により、双方合意の下、榊蓮の家に預けられることとなった。“旦那さま”との生活は幸せなもので…そのぶん、バイト先の環境が少しだけ憂鬱だった。驚愕した顔でホームに立つバイト先の数名の社員たちは、ただ普段のパワハラやセクハラと同じく、誂っただけのつもりだったのだろう。日頃のお礼に紫陽花を買って帰るところを見られて、「彼氏にプレゼントか?」と面白がって小突いただけで…小柄な仙花がホームから足を踏み外すほど大きくよろけたことは、彼らにとってもきっと想定外だった。迎えに来てくれていた、ほんの数歩先にいた榊蓮が、珍しくその目を見開いていた。昴は左手に紫陽花を抱きかかえ、右手を咄嗟に伸ばす。榊蓮が応えるように右手を伸ばすが、その手は空を切り、昴は線路に叩きつけられた。視界の端に、ホームに入ってくる電車が見える。──次の瞬間、僅かに目を開けていたはずの視界が真っ暗になった。今までに味わったこともない痛みと恐怖。ぐちゃぐちゃに潰れて指一本すら動かない身体。運良く形が残っていた脳が、ほんの少しの間、思考を許した。その思考が何も意味のない、下らなくて無駄なことばかりを考える。あつい。さむい。いたい。くるしい。──こわい。胸から上、かろうじて潰れなかった部分が、抱きしめられたような気がした。血の匂いの中に、旦那さまの香りが混ざった気がして、その直後に嗅覚と触覚が消え失せる。今までに聞いたこともないほど大きな旦那さまの悲鳴。焦ったようなその声が、何度も名前を呼んでいた。上も下も、右も左も、夢か現かもわからなくなった意識の中で、昴が最期まで感じていたのは、それだけだった。
The Colors! Gallery moderators will look at it as soon as possible.
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04 Jun, 2025, 8:58 am
「…紫陽花、喜んでもらえるかな…」
20 Jul, 2025, 9:42 pm
意識が現実へと引き戻される。
ホームから突き飛ばされ、線路に落ちるまでの一瞬がやけに長く感じられた。
2年前に卒業した高校での出来事。
1年生の春、図書室の奥で榊先生と出会ったときのこと。2年生の梅雨明け、放課後の教室で榊先生の手伝いをしたこと。3年生の夏、金曜日の6限目に進路希望のプリントを提出したこと…
「成る程、これが走馬灯か」と、昴の頭の中の冷静な部分が理解する。
半年前。「昴」という名前を貰ったちょうどそのタイミングで両親の離婚調停が始まった。
仙花が5歳のときに亡くなった実母に代わり母親となった女性は苛烈で陰湿で、この時期に仙花へ何かしてくるのではと心配した父親により、双方合意の下、榊蓮の家に預けられることとなった。
“旦那さま”との生活は幸せなもので…そのぶん、バイト先の環境が少しだけ憂鬱だった。
驚愕した顔でホームに立つバイト先の数名の社員たちは、ただ普段のパワハラやセクハラと同じく、誂っただけのつもりだったのだろう。
日頃のお礼に紫陽花を買って帰るところを見られて、「彼氏にプレゼントか?」と面白がって小突いただけで…
小柄な仙花がホームから足を踏み外すほど大きくよろけたことは、彼らにとってもきっと想定外だった。
迎えに来てくれていた、ほんの数歩先にいた榊蓮が、珍しくその目を見開いていた。
昴は左手に紫陽花を抱きかかえ、右手を咄嗟に伸ばす。榊蓮が応えるように右手を伸ばすが、その手は空を切り、昴は線路に叩きつけられた。
視界の端に、ホームに入ってくる電車が見える。
──次の瞬間、僅かに目を開けていたはずの視界が真っ暗になった。
今までに味わったこともない痛みと恐怖。ぐちゃぐちゃに潰れて指一本すら動かない身体。
運良く形が残っていた脳が、ほんの少しの間、思考を許した。
その思考が何も意味のない、下らなくて無駄なことばかりを考える。
あつい。
さむい。
いたい。
くるしい。
──こわい。
胸から上、かろうじて潰れなかった部分が、抱きしめられたような気がした。
血の匂いの中に、旦那さまの香りが混ざった気がして、その直後に嗅覚と触覚が消え失せる。
今までに聞いたこともないほど大きな旦那さまの悲鳴。焦ったようなその声が、何度も名前を呼んでいた。
上も下も、右も左も、夢か現かもわからなくなった意識の中で、昴が最期まで感じていたのは、それだけだった。